そもそもはそうじゃなかったのにそう思い込んでることからの逃げ道

ものすごくカッコイイ人は、カッコイイもカッコワルイも考えてないからカッコイイ。
分かったんだ。
今、目の前の出来事は、いろんなものと結びついた単なる結果なので、その現象には特に意味がないってことが。
本当だよ。
目に見えるものなんて今、たまたまそう見えているだけで、結びつきが変わるとゴロッと違って見えてしまうんだ。
問題なのはそう見えたり、そう感じたりすることを疑うこと。
"そう"とは、頭が勝手に考え出した幻想だっ
てことに気づくことなんだ。
だから生きていることも、死んじゃうことも、汚いとか、キレイとか思ってることもみんな脳の仕業。
自分が自分だなんて思ってることすらそうなんだから始末に負えない。
ものごころがつくまで思わなかったことなのに後になって思うことなんて信用しちゃダメってこと。
だって、そもそもなかったものに名前を与えただけだから。
言葉は便利だけどクセモノだってことさ。
見たり、聞いたり、嗅いだり、味わったり、これもそう思い込んでるフシがある。
いや、脳に思い込まされたままになってるよ。
そもそもは何も無いのに、あると思ってるだけ。
思い込んでるだけならいいけど、それがなくなったからって悩んだり悲しんだりするのってヘンだろ。
すべては始まりがあり、終わりがあるだけのこと。
そのくり返しに過ぎないのに。
すべての事柄は何かと何かの関連の上だけに生じた現象なので、今だけを見て、見ただけを信じて生きることや、老けることや、病いや、死というものに囚われると、当然そこから苦しみが生まれるんだ。
仕方ない、諦める、どうにかなる。
どうにかなるとは、どうにもならないのと同じ意味だと知ることも重要だよ。
しかし、知識や何かを得ていると思い上がっても苦が生まれるのでそこにも注意。
それでは最後に"自分なくし"の魔法をかけてあげよう。
"ギャーテー ギャーテー ハラギャーテー ハラソーギャーテー ボジソワカ"
一回じゃダメだよ、何度も何度もくり返し唱えていると、そのことに集中する余り自分がなくなっていくもんさ。
夢中になれた時、そこには自分はいない。
もう一度、言うよ。"自分って一体、何なんだ?"
いくら考えても答えが出ないのは、そんなものは初めっからないからなんだよ。
ただ歩こうよ!意味を求めずに今を生きよう。
それが般若心経の伝えたいことなんだ。

超訳みうらじゅん