神様が人間に与えた寿命はもともと30年だった。
神様が人間に与えた寿命は、
もともと30年だった。
「犬」は、
40年の寿命を与えられたが、
「そんなに長く飼い主に仕えるのはいやだ」と、
半分の20年にしてもらった。
「ロバ」は、
50年もらったが、
「そんなに長く重荷を背負うのはいやだ」と
半分の25年にしてもらった。
「猿」は、
60年もらったが、
「そんなに老いては陽気にふるまえない」と
半分の30年にしてもらった。
人間だけが、余分に寿命をほしがり、
犬・ロバ・猿がいらないと言った
20+25+30年をもらい、
もとの30年に足して、寿命は100歳を越えた。
だけど、
犬・ロバ・猿からもらった「命」には、
犬・ロバ・猿が引き受けるはずだった「仕事」も
含まれていた。
だから人間は、
もともとの寿命だった30歳を過ぎるあたりから、
さまざまな苦労を背負うようになる。
30を過ぎるあたりから、人は、
犬のように家を守り、
ロバのように働き、
猿のように明るくふるまう、
長い長い人生‥‥、
(以上は、出典の広告の文章から、山田がかいつまんだり、
表現を変えたりして再現した。)
「延命のツケ」ということを、
私はいま、思う。
すべてのことには寿命がある。
定められた寿命を越えて、
執着したり、しがみついたとき、
それにともなう重荷も深いと。
それでも、それがわかっていても、
「一日でも、1分でも、1秒でも、長く‥‥」
と願う、この気持ちはなんだろう?